藤樹書院

藤樹書院

藤樹書院は、慶安元年(1648年)「近江聖人」と呼ばれ、また、「日本陽明学の祖」といわれる中江藤樹の在世中に落成を見た門人たちの学者であり、大正13年(1916年)3月8日付で国の史跡に指定されています。明治13年(1880年)大火事によって焼失しました。大火事の最初院内の宝物はすべて運び出され、現在では、近くの藤樹記念館に保管収蔵されています。書院の建物は2年後の明治15年(1882年)に再建され現在に至っています。 敷地内には、藤樹ゆかりの藤の木や三尺の泉などと称される地下水が湧き出てきます。 書院内部には、中江藤樹と親族が儒式に則ってまつられており、見学や全体についても解説を受けることができます。座敷で、中江藤樹の教えの空気を感じていただければと思います。また、書院近くに、藤樹、常省(藤樹の三男)、藤樹の母の墓所があります。


藤の木

藤の木は藤樹の名のもとになったもので、藤樹が愛した木であるといわれています。現在は、書院敷地内の北西部に藤棚があり、初夏に紫の花房を垂れて咲きます。

三尺の泉

書院敷地内の南西部、正門(明治13年の大火の際に焼失を免れた)を入った右側にある湧水。水量は多くはありませんが、涼やかな音を立てて湧いています。

藤樹の墓所

藤樹書院から100mほど北の天台真盛宗玉林寺の参道の北側に藤樹、常省(藤樹の三男)と藤樹の母の墓があります。墳丘の前に墓石を建てるという儒教の形式によるものです。